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2011-05-23
リタイアの仕方
現在40代中盤です。

一般的に考えると、リタイアするまであと20年しかありません。

大学を卒業して仕事を始めてから20年ちょっとが経ちましたので、
ちょうど今は折り返し地点です。

我が家でも、最近老後は大丈夫なんかい?とか、今の貯蓄ペースだと
死ぬまで働かなあ~いかんよとか、老後を考えると暗くなるばかりでした。

そんな中、先日こんな記事を見つけました。

<<原発事故作業へ、経験生かして=「リタイア組」130人志願-元技術者が呼び掛け>>

「僕たちリタイア組がやるしかない」。福島第1原発の事故対応の長期化が予想される中、元技術者の山田恭暉さん(72)が発起人となって、
収束作業に当たる「行動隊」結成を呼び掛けている。建屋での作業も念頭に置いているが、既に約130人が参加を表明しているという。
 山田さんは東大工学部を卒業後、住友金属工業で勤務し、プラント建設などに従事。
原子力に関する知識もあり、事故が深刻な事態に至ることはすぐに分かったという。
 「ロボットを遠隔操作しても、最後には人間の目と手でしかできない大事な仕事が残る。高い放射線量の中で若い人がやったら、
子供ができなくなる危険性もある。被ばくの影響が比較的少なく、
技術も分かる僕たちのような退役組こそ適任と考えた」と語る。


素晴らしい!!

というか、自分の老後の心配しかしていない自分が恥ずかしくなりました。
昔、「アルマゲドン」という映画がありましたが、今回は実話なだけに本当に感動します。

もちろん自分と家族のために老後のプランはしっかりとやらねばいけませんが、
リタイアした後は、自分の趣味を楽しんだり、世界中を旅行するよりも、
何か次の世代の人達のために役立つようなそんな時間を過ごせたら
いいなあ~と最近つくづく思っています。


鈴木
2011-05-19
中国の崩壊?
本日、とある日系企業のトップの方が参加するセミナーに、
紛れ込んできました。
講師は中国動向に詳しい中国人の経済学者の方で、
議題は「岐路に立つ中国-2012年に向けた動向」。
傍から見ていると、急成長を遂げ、経済大国の仲間入りを
果たしたように見える中国ですが、崩壊しかねない問題を内包しているようです。

現在は二つの中国が存在しており、「ライジング・スター、自信過剰、
豊かな国家」がある一方、「クライシス、崩壊、民間の貧困」が
問題ということでした。
内的要員は経済危機がもたらしたpower of balanceの変化、
そして外的要因は中国を取り巻く外的環境の変化が、
結果として中国のアイデンティティーの崩壊に繋がっているそうです。

例えば、20年前はアメリカは中国にとって“月”の様な存在でしたが、
今はアメリカは中国に米国国債を買って欲しいとお願いする立場です。
中国はあまりにも急な成長を遂げてしまったため、
積み上げられた自信が無いことが、全ての行動の裏に有りそうです。

そんな不安定な中国国内では、毛沢東時代と同じ政策を取る政治家が
出て来ているそうです。
中国では毛沢東の行った“悪”をきちんと清算していない為、
昔を知らない若い層には、良い所だけが伝えられ、
今でも肯定的に受け取られているそうです。

そして、国や国営企業が潤う中で、貧困層や民間企業は貧しくなっていく為、
そういった国民の反感感情に毛沢東の思想を活用して誘導。

反対派には法律に則らない方法で、徹底的な排除をしているということでした。
反対派の政治家や、アンチムーブメントを起こした芸術家が、
ある日突然姿を消すそうです。。。
この時代に、そんなことがありえるの?!とビックリしてしまいます。

投資と外需に依存する経済の中では雇用の成長も止まりつつあるようです。
そして「官」が成長の最大受益セクターで有り、
民間企業は益々弱くなっているとの事でした。

そして土地は中国の勢力の源泉であるため、地上げに関する
問題が耐えなず、社会不安の原因でもあるそうです。

今後中国の向かう行方が気になるところですが、
この経済学者の方は、収拾がつかない情勢に陥ってきている為、
現在の状況が乗り越えられず、結果、政治改革は遂行され、
近い将来民主国家にならざるを得ないのではないか、と仰っていました。

ただし、最悪のシナリオは毛沢東時代の回帰で、
中国の崩壊の可能性もあり、との事です。。。

ニューヨークにいらっしゃるビジネスパーソンの方が、
“ルールが有りそうで無い中国よりも、制度が整っている米国の方が、
ビジネスはしやすいんですけれどね”と仰っていたのを思い出しましたが、
“想定外でした”とならないよう、今後は中国に進出していらっしゃる
日系企業は、これから来る可能性のある大きな動きに、
何らかの対策を打っておく必要が有りそうです。

松浦
2011-05-11
渋谷のモヤイはまだあった。
先日家族と一緒に日本に里帰りしてきました。
いわゆる孫見せ興行です。

年に一度のこのイベントを両親は本当に楽しみにしているので、毎年必ず実行しています。
今回は、震災から1ヶ月。
余震もまだ多く、原発問題もまだまだ収束しておらず、見合わせたほうがいいんじゃないかというアドバイスもたくさん頂きましたが、熟慮の末、決行しました。

出発数日前にFacebookを通じて日本にいる学生時代の友人達に帰国の知らせをすると、
今度こそ、家族連れで、皆で食事をしようという事に。
今まで、この企画は何度となくお流れになってきただけに、
本当に実現するのかな~と思いつつ帰国。

結局なんとか日程の調整がつき、実現へと。
会場は渋谷の焼肉屋に決定。

待ち合わせ場所は、南口のモヤイ像前。

って、モヤイ像ってまだあんのか?と友人に訊くと、
「多分.....。」という何とも不安な回答。

高校、大学時代、事あるごとに待ち合わせは、モヤイ像前だった。
飲み会、打ち上げ、合コン(笑)等々。
(高校生のくせに何で飲み会なんだという愚問はされませんように。)


食事会当日。
待ち合わせの5時半モヤイ像を目指して家族3人でホテルを出発。
渋谷駅についたものの、恥ずかしいことに、なぜか北口に出てしまい、道に迷う....。
家内と息子からブーイングを受けながら、ひたすらモヤイを目指す。
相変わらずハチ公前はすごい人だなあ~と思いつつ南口へ。

見えてきた。見えてきた。モヤイ像。
そしてその後ろに、似たような顔をした家族たちがいるではないか。

20年?いや25年という時を経て、あのモヤイ像前で家族を連れて待ち合わせ。
感無量でした。

昔は、モヤイの前で今晩はどうするかと練っていたあの頃。
今は、モヤイの前でお互いの家族を見せあっての品評会。最後は、おのぼりさんのごとく、モヤイの前で記念撮影....。回りの若者たちは皆引いていた....(笑)

焼肉屋では、大人のテーブルと子供のテーブルで分けた。
大人は大人。子供は子供でそれぞれ肉を焼けと。
一番上の10歳の男の子にお前がリーダーになってこのテーブルを仕切ってくれとお願いした。
見事彼はその重責を果たし、子供たちは誰一人ヤケドもせず楽しい時間をすごせた。


渋谷駅までの帰り道。

あのスクランブル交差点を友人たちと家族連れで渡る光景に感動しながら、昔の姿を思い出し、少しだけ贅沢な気分に浸った瞬間だった。


鈴木
2011-05-06
マコの日
武田です。

母の日が近づいています。母に日にちなんで、今回は私の母についてです。

友達がまず我が家に来てびっくりすることと言えば、私が母のことを「マコ」と名前で呼ぶことです。本名はマキコと言うのですが、略してマコです。

なぜこの呼び名になったのかと考えてもはっきりとした時期は全く思い出せないのですが、確か私が高校生の頃にはこの呼び名が定着していました。


小さい頃はもちろんスタンダードに「お母さん」と呼んでいたと言いたいところですが、小さい頃は小さい頃で変わっていました。

小学校受験をさせられた私は、その「お受験」の面接対策として、母のことを「お母さま」と言うように教えられていました。
幼稚園の頃、皆が「ママ」、「お母さん」と言うところ、「お母さま」と言うと友達にギョッッとした目で見られることが多く、そのギョッ視線に、小さいながら深く傷ついたのを今でも覚えています。

小学校に入り、お母さまなんて言うのは「キモい」ということが分かるにつれ、お母さまは薄れていきました。
しかし今更お母さんと呼ぶのも気まずく、「おかあさ・・・ン」のように語尾が曖昧になることもしばしば。そんな中台頭してきたのが「マコ」のあだ名だったのです。

最初は「なにそれやめてよ~」と言っていた母もまんざらではなさそうで、親子関係の氷河期(中学校)を過ぎ、急にまた仲良くなり出す高校生の頃には、すっかり私の友達にまで「マコ」は浸透していました。


ちなみに父の呼び名は「ロク」。これは父の幼少期の家族の間でのあだ名で、6人兄弟の末っ子だから「ロク」です。

こう振り返ってみると、母の呼び名の変遷は、山あり谷あった親子関係の状態を反映しているのかなとも思います。


そんなマコにカードはとりあえず送りましたが、プレゼントはまだ選んでもいません!焦!