先日、とても胸をうたれました翻訳家の岸本佐知子さんの文章をご紹介します。
この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかのだれかがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかで保存されていてほしい。
小さい頃、忙しく行き交う人々を眺めていますと、ふと「この人たち全員にすきな食べ物があって、家族がいて、苦手なものがあるんだ」と気づき、人生というんでしょうか、世の中というんでしょうか、うまく言えないけれど人間ひとりひとりの密度に圧倒されていました。漠然とですが、できることなら、ひとりひとりの人生について知りたいし、困っているのなら助けてあげたい、と胸がいっぱいになったのを覚えています。でも、私、子どもだからナア、なんて。
いざ大人になってみると、街行く人にとって私はただの他人だと気づき、度胸もないので、ブライアントパークで泣いていたおねえさんの涙の理由も分からず仕舞いで一日は終わってしまいます。こんなにたくさんの人に囲まれているのに、誰かの人生に目を向ける前に、自分の毎日にいっぱいいっぱいになってしまいます。私、大人のはずなんだけどもナア。
岸本佐知子さんのことばは、私の中にすとん、ときれいに落ちた気がしました。誰にも言えない秘密だって、ささやかなしあわせだって、きっと宇宙のどこかでしずかに保存されているのかもしれない。意味のあるものになっているのかもしれない。私がどうにもできなかったことだって、私の知らないところで救われているかもしれない。
この世のすべての人について知るのは、そりゃあまあ無理なので、宇宙が保存していますようにとお祈りをするしかありませんが、今回、アクタスの一員として、決して関わることでなかったであろうどなたかの人生のお手伝いができたことを、とても幸せに思います。
NY支店 早立
(写真はうちのお猫様です。関係ないですが、かわいいので。)