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8/9/17 Bob Geldofに学ぶリーダシップ術
こんにちは。ニューヨークの大矢です。

今回はどうしても書きたいことを書いています。どうしてもこのことが書きたくて、この1週間、何度も書き直してきましたが、どうしても、コンパクトに書けません。いつも私のブログは長~いですが、今回は短編小説くらいに長くなってしまいそうです。
というわけで、今週、来週と2回にわけて「連載」させていただくことにいたしました。読んでいただけると嬉しいです。では、スタート。

***

Bob Geldofってご存知ですか?あら、懐かしい、と思われた方は人生に磨きがかかっておられるお年頃に違いなく、なんだかエラソウな響きの名前とリーダーシップ術、という言葉から、オーガナイゼーショナルサイコロジーの権威?などと思われたかたは、概ね人生まだまだひよこ組から年長組くらいに違いなく。。。

さて、このBob Geldofという人は、1970年代中盤から後半にかけてイギリスでうまれたニューウェーブと呼ばれるジャンルの音楽時代に大人気を博したThe Boomtown Ratsというアイリッシュバンドのフロントマンでした。その後1980年代になってヨーロッパや日本で大大大大大大センセーションを巻き起こしたニューロマンティクス音楽の時代には、時代に置いて行かれ気味、“落ち目”を味わうことに。この辺の音楽はいわゆるポップミュージックで、短命なのはポップスターの運命なので仕方がないよね~、って感じです。私はもうちょっと重たいロックを好むので、1980年代は青春真っ盛りでしたが、70年代のイギリスの音楽とバンドをこよなく愛し(今もです(⋈◍>◡<◍)✧♡)、80年代の音楽は相手にしないで過ごしました(エラソウ)。そんな私でも、80年代ポップスターたちの人気ぶりは日本でもタダモノではなかったので、ブリティッシュロックを愛するモノとしては知らないわけにはいかないポップスターがいっぱいいます。デュラン・デュラン、カルチャークラブ、ワム、スタイルカウンシルなんかでしょうか。。。ひよこ組の方はご存知ありませんね(-_-;)

ところで、Do They Know It’s Christmasというクリスマスソングをご存知でしょうか?オリジナル版は1984年生まれですが、その後、3度生まれ変わっており、最新のバージョンは2014年カバーですから、ひよこ組さんたちの中にもご存知の方もいらっしゃるはず。この歌は、一言で言えば、アフリカ支援のための応援歌、です。

またまたトコロデ、質問です。強い組織のリーダーが持っているべきものは何だと思いますか?強い組織、成功する組織には、優秀なメンバーが存在するはずです。優秀な人は優秀なだけに、自負心も強く、個性的でなかなか組織の一員としての存在に落ち着かないのではないでしょうか。でもそんな優秀な個々の存在が、ひとつの組織として何かを成し遂げる時、世の中が、時代が大きく動き、世界中の人々に少なからずの影響を及ぼすのではないでしょうか。でも、スーパースターたちに自己を超越させるのはそう簡単なことではないですよね。そんなことができるリーダーってどんな人?というのが今回の私のブログのテーマです。そして、1984年10月23日、落ち目でみじめと不安に悩んでいたちょっと前までのポップスター、Bob Geldofは2か月後にその偉業を、Do They Know It’s Christmasというクリスマスソングを生み出すことで成し遂げるんです。Do They Know It’s ChristmasというクリスマスソングはBob GeldofのBrainchildです。

では、Do They Know It’s Christmasの誕生の歴史を時間を追って説明いたしましょう~。

1984年
10月23日
落ち目でみじめな気持ちに苦しんでいたBob GeldofはBBCの夜のニュース番組で放映された飢餓に苦しみ命を落としていく人たちの凄惨な姿を目にし、大衝撃を受けます。落ち目なんて苦しみじゃない、この人たちのために何かをしなければならない、とという強烈な思いに駆りたてられます。彼は考えました。毎秒毎秒命を失っているエチオピアの人たちのために自分に何ができるだろう、と。自分にはお金がないので、一人で大金を寄付することはできない。じゃ、お金を作るにはどうしたらいいのか?自分にできるのは音楽。でもどんなにいい音楽を作っても今の自分やRatsのブランドにはヒット曲を生む力がない…

11月2日
Bob Geldofのパートナー、Paula Yates、彼女は当時イギリスで大人気だった音楽番組のパーソナリティーで、この日の番組収録を終了し、控室でゲスト出演者だったMidge Ureと雑談をしていた時にBob Geldofから電話がかかってきます。Midge Ureは当時イギリスはもとよりヨーロッパで売れまくっていたUltoravoxというバンドのフロントマンで、Bob Geldofの古くからの友人でした(ヴィエナ~♪)。Midge Ureがそこにいることを知ったBob GeldofはMidge Ureに電話を代わってもらい、エチオピアの飢餓のニュースを見たか?何かしなくちゃいけないんだ、と電話口で叫びまくり、その熱意に押し倒されるようにMidge UreはYesと言うことに。私が思うに、これは偶然の産物ではなく、偶然に見せかけたBob Geldofの計画に裏付けられた行動だったに違いありません。Bob Geldofはニンキモノの力を必要としていたわけですが、ニンキモノならだれでもよかったわけではなく、Midge Ureでなければいけなかったんだと思うのです。検証は後程。

11月5日(お~、私のバースデー(^^♪)
Bob GeldofはMidge Ureに会いに行きます。何ができるんだろう、と検討した結果、クリスマスソングのチャリティーレコードを作ろう、有名なミュージシャンを集めてクリスマスソングを収録しようということになりました。でも実はこれも既にBob Geldofの頭の中では決まっていたことだったはず。というのも、彼はこの日、ノートに書きなぐった歌詞となんとな~くのメロディーラインを持ってやってきていたからです。

11月5日~11月23日
Midge UreはBob Geldofのアイデアをモチーフに自宅のスタジオでDo They Know It’s Christmas制作に入ります。クリスマスショッピングに間に合うようにレコード(はい。当時はレコードというものでした。ご存知ですかレコードって?)を世の中に生み出さなけれならないわけです。普通なら少なくとも数か月はかかる作業を2週間でこなさなければならないという大使命をかかえたMidge Ureは作曲のみならず、レコーディングに必要な声以外の“音”を全て自宅のスタジオで収録し、Bob Geldofの歌詞を使ってこのクリスマスソングを完成させます。ご馳走を食べプレゼントを送り豊かな祝賀のひと時を過ごす人たちに、明日の命さえわからない飢餓に苦しむ人たちがいることを、この歌で思い起こさせ、Feed the World!と人々の心に訴えるためのクリスマスソング、Do They know It’s Christmasが生まれました。そしてレコードカバーのデザインはPeter Blake。ビートルズのSgt. Pepper's Lonely Club Bandのカバーの撮影で有名なポップアーティストです。

で、Midge Ureが音楽を生み出すプロセスに昼夜没頭する間、Bob Geldofは何をしたか、です。Midge Ureという大物との共同作成ソング、という水戸黄門の印籠を手にしたBob Geldofはまず自分の所属するレコード会社を説得し、無料のレコード生産の約束を取り付けます。そして、レコード会社のオフィスから、知り合い、知り合いじゃないにかかわらず、片っ端から大スターたちに電話をかけ続け、エチオピアの飢餓に苦しむ人たちを助けようじゃないか、クリスマスソングを作ったのでレコーディングに協力して欲しい、有名なミュージシャンに協力してもらわなくちゃだめなんだ、(一流の、ではなく”有名な”、という形容詞に、Phil Collinsは思わず苦笑したとか。)と執拗に声をかけ続けるという地道な泥臭い努力を日々続けます。脅しのような強い口調のBob Geldofの熱意に負けてか、キリスト教徒であろうとなかろうとキリスト教が根底にある文化で育った背景から持つ慈善の精神からか、次々とスーパースターたちのYesを取り付けるBob Geldof。レコーディングにはプロデューサーが必要。大物プロデゥーサーの賛同を得たものの、彼は2週間ではレコーディングは無理、と協力は断りましたがその代わりに自分のレコーディングスタジオを提供する約束をします。

11月24日
報道陣が注目する中、続々と大物スターがロンドンのレコーディングスタジオに集まり始めます。Band Aid結成です。Sting, Duran Duran, U2, Paul Weller, George Michael, Bananarama, Phil Collinsといった大物スターが、声をかけられてから1週間、2週間で忙しい予定をやりくりし、1日をこのレコーディングのために空けて集まるって本当にすごいことです。レコーディングにYESと言ったミュージシャンが顔をそろえる中、一人の大物がまだ到着しません。Culture ClubのBoy Georgeです。そこで、Bob GeldofはBoy Georgeを探します。前の晩、ニューヨークでコンサートだったBoy Georgeは夜中遊んでホテルに戻り、やっとベッドに入った午前4時。Bob Geldofからの電話が鳴ります。Bob「みんなもうスタジオに集まってるんだ、どこにいるんだよ!」といきなりの怒鳴り声。BG「誰?」Bob「ゲルドフだよ、すぐにロンドンのスタジオに来いよ。」BG「すぐって言っても今ニューヨークだし。。。」Bob「コンコルドがあるだろ。朝一番にニューヨークを発つコンコルドでロンドンに飛べば大丈夫だ。」という会話の後、Boy Georgeはやっぱり寝ちゃって朝一番のコンコルドは逃したものの、最終便には搭乗し、午後6時にはロンドンのレコーディングスタジオに現れるんです。すごいでしょ。
レコーディングは、Feed the World~の合唱の全員合唱の録音(これが最初の録音。メディアがスーパースターたちのスーパーショットを撮影し、翌朝の新聞紙面掲載に間に合わせるための意図的なスケジューリングです)と、それぞれのスーパースターに歌わせたソロとPhil Collinsのドラムス、Duran DuranのJohn Taylorのベースのパートが収録され、夜8時頃には全てのパーツのレコーディングは終了。そこからMidge UreとBob Geldof、ミキシングのエンジニアでの仕上げ作業 - ソロのパーツから一番効果的なものを選択し、Midge Ureがあらかじめシンセサイザーで完成させてきた楽器演奏とのミックスというエンジニアリング作業が始まります。

11月25日
午前8時、伝説のクリスマスソングを録音したカセットテープができあがります。(はい、カセットテープです。)その足でBob Geldofはそのカセットテープを持ってBBCラジオ局へ。Ratsの新しいアルバムのプロモーションのためにインタビューを受けることになっていたBob GeldofはスーパースターたちがBand Aidというひとつのバンドの下に歌ったDo They Know It’s Christmasについて熱弁をふるいます。そしてこの歌が初めて世の中に流れ、人々の耳に届きます。その時にBob Geldofは言いました。このクリスマスソングを好きである必要はない。とにかくレコードを買って欲しい、と。

そして早速レコード生産が始まります。B面はインストルメンタルで、レコーディングにどうしても参加できなかったDavid BowieやPaul McCartoney、そしてレコーディングに参加したスターたちのメッセージがメロディーにかぶせて録音されているレコードです。

11月29日
レコード発売。Do They Know It’s Christmasのレコードが店頭に並びます。レコードショップでの販売はもちろん、普段ならレコードを販売したりしないようなデリのようなお店からハロッズまでが販売に協力。レコードは飛ぶように売れます。50枚、100枚といったまとめ買いもかなりあったそうです。イギリス中が毎日、お店に列をなしてレコードを買うという現象となり、BBC1ラジオ局は1時間に一度このレコードをかけます。スーパースターたちのFeed the Worldとい訴えがイギリス中の人々の心をとらえ、すぐにヒットチャートNo1をヒットするのはもちろんのこと、イギリスで350万枚のレコード販売という前代未聞の記録を達成しました。もちろん、世界中でこの歌はヒットしレコードも売れまくりました。

これがBob Geldofが、ニュース番組でエチオピアの飢饉を知ってから1か月という短い期間でエチオピア人を救おうという基金が誕生させるという大偉業を成し遂げたタイムラインです。インターネットもEメールもテキストもチャットもなかった時代のことです。

1か月という短い期間でこんなレコードを作ったこともすごいことなんですが、ここまでにかかわった全ての人たちが、そしてレコード販売に関わった全ての人たちがノーチャージ、かかったコストは自腹、だったことです。このレコードの売り上げは1ペニーも関係者の懐に入っていないんです。Boy Georgeもコンコルド、自腹で乗ったわけです。
ところが、冷血だったのはイギリス政府。VAT(消費税)を免除するわけにはいかないと。。。売上があるからには税金はかかるでしょ、あたりまえ、と、サッチャー首相はガンとして首を縦にふりません。

さて、この続き、このストーリーにおけるリーダーシップについての検証は来週~。