2008-01-22
恥ずかしい話だが、私はあんまり料理をしない。言い訳になるかも知れないが、私は姉妹が多く、いつも出来のいい姉や妹が周りにいたので、ちゃんと料理を教えてもらう順番が私には廻ってこず、いつも足りない食材をスーパーへ買いに行ったり、お皿を並べたり、食後の洗い物をしたりすることの方が多かったせいだと自分では思っている。しかし良く考えると、7人も子供がいれば、いちいちキチンと料理を教える暇など母には無かっただろう。それでも母は外食などほとんどさせず、毎日、朝昼晩と何かしら作ってくれた。何故か小さい頃はかなり病弱だったのだが、そんな私が今ではほとんど全く風邪もひかずに健康でいるのは、少なくとも高校生までは母の作るものを毎日食べて育ったからだと思う。(あとは、父親に毎晩のように食べさせられた、ゴマ油のたれをつけた山盛りの生レバか。笑)
ところで、私は結構味にはうるさい。これは多分、祖父、祖母、そして父親からの血を受け継いでいるのではないかと思う。(そういう意味では、長男の嫁だった母は相当苦労したはずだと思う。)母が作るものは私は何でも美味しいと思ったと記憶しているが、今思えば、それは相当母が気を使って料理をしていたのかも知れない。私に好き嫌いがないのは、食卓でのしつけの厳しかった父親のお陰だし、とにかく、子供の味覚や好き嫌いは、両親が食べる物やしつけに影響を受けるのは確かで、恐らくほとんどの人が、自分の両親が作るものを一番スタンダードに「美味しい」と感じるのではないだろうか。
私の料理の話に戻ると、高校を卒業して以来、大学、就職後など自炊する(或いはするはずの)期間が長いにもかかわらず、料理をしたのは本当に数えるほどしかない。何故か料理が上手な男性と付き合う機会が続いたせいかも知れない。それに大体料理が上手い人は、美味しいものを良く知っているので、外へ食べに行く時も値段に関わらず美味しい店を良く知っていて、私の舌も相当肥えさせてもらったと思う(謝謝)。そんな中、私が好きで通っていた神戸の「美味しんぼ」というレストランのマスターが、「高橋さんは味を良く分かっているから、絶対に料理は上手くなりますよ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」と言ってくれたのがとっても嬉しくて忘れられず(単純、、。)、ずっとその言葉を心の支えに今まで来たが、それでもやはり、さすがに体のこともそろそろ考えて自炊を取り入れようかと思っていたところへ2ヶ月前の引越しとなり、結構自由に使えるキッチンということもあって少しづつ料理をするようになった。
料理の上手い人がルームメイト(ここでもやはり料理の上手い人!)だということもあり、隣で教えられることも多いが、やはり自分で作る時の味の目標は、「母の味」である。真剣に味見をしながら作ると、「お母さんの味はこんなんやなかった。。」と思うことが多い。そしてまた同じ料理に挑戦したりする。もちろんアメリカにいるので食材を適当に誤魔化したりはするけれど、味にうるさい自分だからこそ、思っている味にならないと、自分はお腹が空いているから何とか食べれても、間違っても他人には食べさせられないと思う。
そんな中、新年を迎えるにあたって作ったお雑煮は、かなり「母のお雑煮」に近かったような気がする。私の家は、「西京白みそ」を使ったお雑煮で、お餅以外の具は「かぶら」だけというシンプルなものである。マンハッタンの日系食材店を探したが、なかなかこの「かぶら」がなく一旦諦めかけたが、何故かブルックリンの家の近所のデリに売っていて笑ってしまった。とにかく、かつおぶしと煮干で出汁を取り、かぶらを丁寧に茹でて西京白みそで味をつける。ポイントはとろみのつけ方か(とろみと言っても、片栗粉を入れるのではない。内緒。)。スーパーの切り餅はナイロンのような味がして本当は好きではないのだが、これは仕方がない、としても、結構自分でも「美味しい~!」と思えるお雑煮が出来た時はさすがに嬉しかった。こうなってくると、来年あたりは「おせち料理」に挑戦か?(本当に単純。。)とにかく、料理も結構楽しいもんだと思い始めた今日この頃。寒い冬の間に、せっせと料理に励んでみようか、母の味に少しでも近い手料理のレパートリーが増えることを目指して!
アクタスNY 高橋