2008-04-21
アクタスに入社してから早いもので丸1ヶ月。
ついに私も長年の憧れだったJobログへの参加が実現しました。
これまで先輩諸氏が残された笑いあり涙ありの過去ブログを拝読し、私の1発目には何を持ってきたらよいものか2ヶ月前から悩んできました。
散々悩んだ結果、やっぱりここは陶芸の話をします。
NYで陶芸をやっています。
約3年になりますか。間が空いているところもあるので実質2年位です。
きっかけは妻からの誘いです。
妻は昔から陶芸が好きで日本でも教室に通っていました。
NYに来ても出来れば続けたい。むしろ、日本では手びねり(こちらではHand-buildと呼びますね)しかやらせてもらえなかったが、NYの教室では電動ろくろ(Wheel)まで学ばせてもらえる。絶対やる。ま、そんな感じで。
私はバスケットボールとか酒飲んだりとかウィンドウショッピングとか、余暇の活動といえばそんなもので、趣味らしい趣味を持っていないな、よっしゃこれも何かの縁だし今まで全く考えもしなかったものに手を付けてみようと一念発起しました。
尤も、私が如何にがさつで不器用かを熟知している家族・友人は、私の新しい趣味に対して半笑いでしたが。「ふざけるな」と。
いまだに人によってはこの事を明かしていません。
さてそんなこんなで始めてみた陶芸ですが、最初は全然楽しく無かったです。手びねり教室に4週間、その後電動ろくろ教室に6週間。
これで基本を一通り身につけ、後は自分でやりながら体に覚えさせていくわけです。
前述のとおり私は手先が不器用で性格も適当。先生の教えて下さった事なんてそんなすぐに出来ません。隣でやっている妻は器用だし経験者なので私よりもかなり上手に見える。「あ、これは合わないかもな」って始めて数週間後には思っていましたね。
先生も実は同様に思っていたと、後でばらしてくれました。
それでもいまだに続いているのは、根本的に「一度始めた事を結構やめない」性格のせいでもあるのですが、それなりに楽しい事もあるからです。
まずどんなに下手でも不恰好でも、自分が作った器は愛しいのです。我が子のような気分になりますし、割れようものなら心の底から悲しみに暮れるでしょう。自分で作ったぐい呑みで楽しむ酒、小鉢に盛られた煮物の美味さは、ちょっと言葉では言い表す事ができません。それに、焼かない限り土は何度でも再生可能です。気に入らなかったらまた最初からやり直せばいいんです。
又、陶芸では上手さや綺麗さと「味」は比例するとは限りません。つまり歪んでしまったり、思ったとおりの色が出なかったり、というのが結果的にその器だけが持つ雰囲気になる事もあるのです。
実は私の中ではこの事が陶芸の持つ一番の魅力だと考えています。
完全に整った器が最も価値がある、という世界だったら私はすぐにやめていたでしょう。
技術的には私は教室の中で一番下手です。周りは経験数十年・作れないものはない、くらいのベテランばかりです。では彼女等/彼等の作品は全て魅力的かというと、必ずしもそうではないんですね。むしろ器の魅力は不均等・歪みといった計算できない部分に依拠する場合も多いのです。
逆に、どこかの店に数百ドルで売られている器よりも、隣の生徒が作った5ドルの作品の方がずっと格好良く見える事だってあります。
目の前にある自分が作った不恰好な作品は、少なくとも私にとっては世界に一つしかない大事なもの。そう思える瞬間が私に今まで陶芸を続けさせているのだと思います。
皆さんもそれぞれご自分の趣味をお持ちの事と思います。
「是非やってみて」というのがあったら教えてください。
ちなみに私には料理もストレス解消に結構重要です。その話はまたいずれ。
木村