2008-06-09
「One month to live」
あと一ヶ月しか生きられないとしたら・・
あなたは何をしますか?
先日、そんな本の話を聞きました。
ここ数年で、私の知り合いで亡くなった人が何人かいます。
突然亡くなってしまった人もいますし、
余命数ヶ月と宣告されて亡くなった人もいるでしょう。
毎回そのような知らせが届く度に、遠くアメリカにいながらも、
どうにかして親孝行というものをしなくちゃいけないなあ、
なんて考えてしまいます。
数年前に私の祖母が亡くなりました。
余命3ヶ月と、まるでドラマかのように家族に告げられ、
両親の希望で本人には、最後まで正しい病名も余命についても
知らされませんでした。
祖母はいわゆる困難な時代を乗り越えてきた「強い女性」で
店を切り盛りしながら、女手一つで子供を育て、
病を患った時も家族に知られないよう、隠れながら病院へ行き、
最後の最後まで「痛い」という言葉を残さないような人でした。
祖母が病院へ入院している間、そして亡くなった後、
私が疑問に思っていたことは、一体彼女は自分の病気や余命について
知っていたのだろうか、ということでした。
祖母はその答えを、驚くほどしっかりと残していきました。
通夜の準備で団子の粉が必要になり、母が冷蔵庫の中を探していると、
「だんごのこな」と書いたビニール袋が出てきたと言います。
私の家は両親共働きのため、全て祖母が食事の支度をしていました。
つまり、わざわざ「だんごのこな」などと書かなくても、
どこに何があるかなど十分に分かっていたはずなのです。
それは、自分の通夜に必要になるであろう粉を、家族や親戚の人が
見つけやすいようにとの祖母の配慮でした。
また、次の日母に呼ばれ祖母の部屋へ行くと、
綺麗に片付けられた部屋に、祖母が一番好きだった着物が一つだけ、ハンガーにかけられ残されていました。
一緒に棺桶にいれて欲しいという祖母の最後の願いだったのでしょう。
あの時の母の「分かっていたんだねぇ・・」という言葉は忘れられません。
祖母は病を患いながら最後の数ヶ月、数週間、そして数日、
何を考えて過ごしていたのでしょうか?
自分だったら何をするだろうかと考えることがあります。
そして、もしそれが周りの人だとしたら、自分は何をしたいか、
何を伝えたいかと考えることもあります。
それが、もし1ヶ月ではなく1日だったら・・。
だからこそ、ただ時間に追われて過ごすのではなく、一日一日
後から後悔のないように過ごすことが大切なのかもしれません。
一日の終わりに、あれもしとけばよかった、これもすればよかった、と
思い返すことが多いのは、私だけではないはずです。
何の後悔もなく、「ああ、今日もいい一日だったな」と思い目を閉じる。
簡単なようで、実は難しいことです。
だからこそ、今週一週間、毎日そう出来たらきっと素晴らしい一週間に
なるに違いありません。
それが私の今週の目標です。
(武井)