2009-06-22
私は物心ついたころから、ずっとペットと生活をしてきました。
覚えている限りでは犬が3匹。ウサギが8匹。猫が1匹。お祭りで買ってもらったカラーひよこはどのくらいの数になったかは覚えていません。白い手乗り文鳥をツガイで2組ほど。あとは祖父が手をやいて家に持ってきてしまったガチョウとアヒルのハーフのような鳥が2羽。
母が特に動物好きだったとは思いませんが、私と弟に命の尊さと、命に対する責任感と、命を大切に育むことを教えたかったようです。
2週間ほど前、母からの知らせで17年か18年生きた、最後の犬が他界したことを知りました。
シベリアンハスキー犬で、ペットショップからうちにやってきた時はまだぬいぐるみのようにふわふわして可愛らしい生き物だったのですが、みるみると大きくなってびっくりしたことをよく覚えています。
車キチの弟の命名でアレックス、という名前になりました。当時、ちょっと人気のあったF1ドライバー、アレッソンドロ・ナニーニのファーストネームを頂戴したのですが、名前負けとはこの犬のこと。弟が社会人になったばかりの頃で、真っ赤なスポーツカーを買いました。弟の構想では、クールに気取った大型犬を助手席に乗せてブイブイ飛ばすことを夢見ていたようで、アレックスが少し大きくなるのを楽しみに楽しみに待ち、いよいよ、外から見ても助手席に犬が乗っているのが見えるくらいに大きくなって、初ドライブに出かけたのですが、なんでも思うようにはいかないものです。車にはめっぽう弱い犬であることがすぐに判明。車酔いをし、朝食べたものを全部ゲェ~っと新車のシートに吐いてしまう始末。その後は少し開けられた窓ガラスから長い口を突き出して、ピンクの舌をだらーっとたらしているものですから窓はよだれだらけ。うちの弟がその後、2度とアレックスを車に乗せなかったのは言うまでもありません。
逃亡癖があって、と言っても逃げたいわけではないのですが、自由が好き、というのでしょうか。とにかく首輪や金具をはずすことをすぐに覚え、ひとりでふらふらそこら辺を散歩に行ってしまうのです。でも、どうやってどこを歩いたのかわからなくなってしまうらしく、賢いのだか、おばかなのだか。。。すぐに迷子になり、そのたびに家族総出で夕方探して歩き、大きな犬なものですから近所の人には怖がられ怒られ、うちの弟を怒らせたのは言うまでもありません。脱走をなんども繰り返しては、奇跡のようにいつも私たちはアレックスを見つけていたのですが、ある日、とうとう見つからず、一晩を越えてしまいました。心配した母が、念のため、と保健所に電話をしてみたところ、ハスキー犬らしき犬はいないけれど、どろんこで汚い大きな犬で青い目と茶色い目をひとつずつもった犬ならいる、と。うちのアレックスでした。弟は仕事にでかけていたため、母は自転車で(母は車の運転ができません。)遠くにある保健所までアレックスを迎えにいきましたが、一晩、暗い、汚い折につながれ、命の危険を感じていたのか、母によるとアレックスは腰が抜けてしまったようにまったく歩けなく、仕方がないので、大きな汚い犬を母は自転車のかごに乗せ、家に連れて帰ったとか。想像をするだけで笑えます。奇妙な姿に違いありません。本当に大きな犬でしたから、ままちゃりのかごになんかお尻くらいしかはいらないはず。
18年も生きてくれたので、エピソードはたくさんあります。私は数年一緒に暮らしただけでしたが、何年ぶりに帰っても私の匂いをすぐにかぎわけて、文字通り飛びついてきてくれる可愛い可愛い犬でした。
今度、日本に帰ってもアレックスが私にとびついてくることがないのかと思うと、心から寂しい気持でいっぱいです。
そしてもっと寂しいことに、日本の実家には今、ペットがいません。でも、ニューヨークに来てからずっとペットなしで生活してきた、私の我が家に今は猫ちゃんが2匹いて、私の心をなごませてくれています。そのうち、この子達のことを書くことになると思いますが、今日はアレックスの思い出話でおしまいです。
((大矢))