2010-12-07
こんにちわ。武田です。
キンドル人気で、本屋がつぶれるというNEWSを悲しく聞いているのは私だけでしょうか?
昔から本好き、読書好きな私は、はっきり言って電子書籍の魅力というのが分かりません!(これが歳をとった証拠なんでしょうか・・・?)
もちろん、重い本を持ち歩かなくても良い、紙を無駄にしない、欲しい時にすぐ手に入るなど、利点がたくさんあるのは分かります。
でも私にとって本とは、表紙の絵から始まり、紙質、字体、その本の重さ、におい、ページをめくるという動作までが読書体験の一環なんです。
小さい頃から本が好きだった私は、休日両親が用事をしている間よく妹と2人で地元の図書館に置いていかれました。
そんなつまらない所に!と思う人もいるかもしれませんが、私はこの時間が楽しみで楽しみで仕方なかったのを良く覚えています。
好きな本の種類はある程度決まっており、寺村輝夫のこまったさん、わかったさんシリーズ、王様シリーズ、福永令三のクレヨン王国シリーズ、ナルニア国物語からシャーロックホームズ、おちゃめなふたご、など挙げていくときりがありません!
借りたい本を、どうしても貸し出し制限数まで絞りきれず、両親の図書館カードまで使って一回に何十冊もの本を借りて夢中に読んでいました。
あまりにも通いすぎた図書館で、かれこれ10年以上経った今でもどこの棚に何があるか覚えているくらいです。
不思議なことに、上記の本の内容はおぼろげにしか覚えていないのですが、今でもその本の表紙の絵と装丁はしっかりと覚えています。
この記事を書きながらも、改めてアマゾンで昔読んだ本を探してみて、その表紙を見ると、当時どんなワクワクした気持ちでその本を読んでいたか鮮明に思い出します。
こう言ったら電子書籍世代には古臭く聞こえるのかもしれませんが、私としては、この本を手にしたときの五感のわくわく感というのが電子書籍では薄れてしまう気がするのです。
今も本、もしくは活字を読むことは好きで、鞄には必ず本もしくは雑誌が入っています。
不思議なことに、私は日本にいると日本語の本しか読みたくなくなり、アメリカにいると英語のものしか読みたくなくなります。
たまに、英語ばっかりで疲れるから日本語のものをと思って読むのですが、そうするとぜんぜん内容が響いてきません。
本の中の設定と自分がいる環境との温度差があまりにも激しくて、そうなってしまうのでしょうか。
今も、たまたまなぜか手元にあった梶井基次郎の檸檬(またなんでこんな渋いものを日本から持ってきたのかも謎ですが)、日本にいる時に読むと感慨深いものが、こちらで読むと「なーんてめめしい陰気な話なんだろう・・・」で終わってしまいます。笑
現在のNYの環境と梶井基次郎の生きた世界の唯一の共通点と言えば、梶井が「死んでやろうと思う時」の一例として、「家に南京虫(ベッドバグ)が湧いたとき」としていたこと位でしょうか・・・・。
皆さんが最後に読んだ本で、表紙もその本の重さも覚えているものって何ですか?
(武田)