最近感動したことがあります。
日経新聞の6月分の「私の履歴書」で取り上げられた米沢富美子さんです。
感動しすぎた私は毎日日経新聞を心待ちにし、古い新聞を捨てる前にこっそり切り取っていました。
それだけすごい人です。
米沢さんは、1938年生まれの物理学者で、日本の女性科学者の草分けといわれています。
残念ながら物理や化学が全く分からない私にとって、彼女の発見した理論や功績の本当のすごさは理解できないのですが、そのパワフルすぎる生き方には衝撃を受けました。
下記は私が簡単に米沢さんのすごさの断片をお伝えするために、かいつまんで書いたものなので、皆様是非6月の「私の履歴書」読んでください!!! 本当にすごいですから!!
元々米沢さんのお母さんも数学が得意で、優秀な方だったようですが、米沢さんは
・ 5歳のときに幾何の証明を理解し
・ 小学校5年生のときにIQ175と判明し
・ 4年制大学への女性の進学率が2.5%という時代に京大理学部に進学。
・ 女性は結婚したら家庭に入るとされていた時代に「物理と僕の奥さんと両方を取っていいよ」という、理解のある旦那さんと結婚。
・ 京大博士課程中、1ドル360円の時代にご主人のロンドン大学留学が決まり、夫婦同伴が許されないということで、米沢さん自身がイギリスの30校以上の大学院に、入学と奨学金を嘆願し、見事奨学金を獲得。イギリスでのご主人との生活を始める。
・ 京大研究所の助手+1歳になる長女の育児+次女の妊娠+家事すべて の同時進行でへとへとになり、休日に本を読んでいないと、ご主人から「京大の助手になったくらいで慢心するな」との痛撃の一言。この一言で(キレずに)奮起。妊娠中、一日4時間睡眠でその後世界に認められる理論を発見する。
・ 米国勤務になったご主人を追い3人の娘を連れてNYへ。NY市立大学で客員研究員を務める。
・ ヘッドハンティングで44歳で慶応大学の教授に。
・ ちなみに35歳の時には子宮前がんで子宮を全摘出。45歳のときには乳がん第三期といわれて左右の乳房を全摘出。後70歳のときにがんで甲状腺を全摘。
・ 2万人会員のうち女性は3%の日本物理協会の初の女性会長に選出される。この会長を務めながら、文部科学省科学研究所の予算7億円、総勢200名の研究者が関わる研究を率いる。
・ 52歳のときにご主人を亡くし(またこのときの話が泣けるのです・・・。)抜け殻のようになるものの、国際学会に向かう飛行機の上でひらめき、また世界的に認められる新しい法則を発見する。
・ 2004年に慶応大学を定年退職。現在は(74歳で)94歳になられるお母さんの大阪―東京の遠距離介護と研究の両立をしている。
ご自身でも仰っていましたが、いつ寝ているんだというような怒涛の毎日で、普通の人が一回の人生でこの半分も経験できないようなことを成し遂げている米沢さん。
人生を振り返ったときに、何も言い訳することがない生き方とは、まさにこういう生き方なのではないかなと思います。
ちなみにご主人はバリバリの証券マンでいらしゃったようですが、海外転勤になっても米沢さんに仕事をやめてついてこいとは決して言わず、彼女が京大にリクルートされ、自身が東京に取り残されることになっても「ワイフが京大に呼ばれましてね」と自慢げにお話されていたそう。なんて素敵な夫婦・・・。
ちなみに米沢さんの人生の哲学は
1.自分の可能性に限界を引かない
2.行動に移す
3.めげない
4.優先順位をつける
5.集中力を養う
だそうです。シンプルだけど一番難しいことばかりだと思います。
感銘を受けるとともに、しっかりしなさい!と背中を押されるような連載でした。
(武田)