2013-01-23
先日久しぶりにMOMAに行き、Japan SocietyやUNIQLOが
スポンサーとなってる「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde」の
作品を見てきました。
1950年から1970年にかけて制作された
多くの作品が展示されていました。
アーティストは世の中の流れを敏感に感じ取って、
それが何かしらの形になって、作品に表れがちです。
そしてこの時代の作品は、戦争の傷跡なのか、
または急成長を遂げている都会のひずみからなのか、
多くの作品は、どこかシニカルで、
内に秘めた暗さ(中にはゾッとするほどの嫌悪感)が
表現されており、どうも疲れてしまいました…。
肩こったなぁ、みたいな。
間違いなく、見るのにエネルギーが必要な作品群です。
そんな訳で、癒しのスポットのひとつである、
モネの睡蓮の大作にはさまれたソファーに座って、
しばらくぼーっとしていました。
「印象派」とは、まさにモネのこと。
権威を振りかざす画壇に嫌気がさし、
五感を使って「感じる」ことをキャンパスに残そうとしました。
それまでは、重々しい写実的な作品が良しとされていた中で、
モネが発表した作品を、ある有名な記者が
「何も実体を描いていない、ただの印象じゃないか」
と揶揄したところから「印象派」という名前がついたそうです。
ベートーベンが聴覚を失ったように、モネは晩年、視覚を失いました。
それでも、絵の具の番号を頼りに、絵を書き続けたそうです。
目が見えなくなっていくと同時に、見えていたことが
リアルだったのか、それとも目に見えないものこそがリアルなのかを、
考えたのでしょうか。
久しぶりに、モネの偉大さを実感した一瞬でもありました。
松浦