2013-03-04
今朝のニュースでこんな悲しい出来事がレポートされました。
カリフォルニアの老人用住居、とでもいうのでしょうか、independent living facilityと呼ばれるタイプの老人施設で87歳の女性が倒れ意識不明になったと911に施設の看護婦より通報が入り、その通報を受けたディスパッチャーが救急車が到着するまでの間に人工呼吸を施すようにその看護婦に指示をしたところ、施設のポリシーなのでそれはできない、との回答。「自分ではできないのであれば、誰か施設の住人や通りすがりの車を止めて施設に勤務していない人を探して欲しい、そのまま病人を放っておくと命を落としかねないですよ。人工呼吸のやり方は私が教えるので」、との何度の懇願にも、できない、の一点張り。救急車で病院に運ばれたその老女は結局病院で亡くなったそうです。人口呼吸を施していれば命が救われたのかどうかはわかりませんが、少なくともその可能性はあったわけで。呼吸がとまった人をそのまま放置しておき4分を超えるとかなり命を落とす可能性が高くなるそうです。従って、救急隊員が到着するまでの間に人工呼吸を施すことは非常に大きな意味があるということ。
今回起きたことは、施設のポリシーで、施設の住人が病気や怪我で倒れた場合は専門家に通報し専門家の到着を待って対応してもらうこと、救命のためのいかなる行為も行ってはいけない、というものがあって起きたことです。できない、を通した看護婦さんは、ディスパッチャーの指示にしたがって人工呼吸を施していれば、仕事を失ったかもしれません。でも、介護という仕事を選んだプロフェッショナルが、プロとして、そして一人の人間として、意識不明で倒れている人を目の前に、ポリシーが先にたつのが本来の姿なのでしょうか。ヒューマニティーはどこに?
アメリカは訴訟大国。それこそ、水にぬれた飼い猫の毛を乾かそうと電子レンジでチンをしたら猫が死んでしまったのでどうしてくれる、という裁判で、電子レンジにの仕様書にその注意書きがなかったという理由で勝訴したなんて昔の有名なお話がありますが、とにかく、たくさん弁護士さんがいて、なんとか弁護士として食べて行こうとするからでしょうか、そしてそういう弁護士さんの口車にのってお金を欲しいと思う人がいるからでしょうか、なんだか、訴えられないようにリスクヘッジをするには人に必要以上に係わらないのが一番、というような傾向が世の中に横行しているように思えてなりません。
私のような仕事をしていると、自然と人事の担当者の方々の色々な悩みなどを耳にすることがあり、そのレベルが深刻な事態だと、弁護士さんや人事コンサルタントの方々をご紹介しています。そんなこともあり、弁護士さんやコンサルタントの方々から色々な判例や事例を教わってきていますが、企業側のリスクをヘッジするためのアドバイスをお伺いしていると、もちろん、非常に当然な手順についての指導などもあるのですが、部下のプライベートな話は聞くな、家庭の状況を理解するようなことはしてはいけない、これもだめ、あれもだめ、といったことだらけ。関係が悪くなった時に、親切なつもりの行為があだになって訴えられてしまう可能性がある、という理由はとてもよく理解はできるものの、です。
法律やルールは人間の社会を住み易くするために存在するのであって、どう利用するかは私たち次第。大切なのはそれを利用する私たちの心根じゃないでしょうか。人と人が触れ合うからこそ生まれる慈愛の気持ちやお互いに助け合おうという気持ち、助けてもらったから、今度は自分が誰かを助けてあげたい、そいういう気持ちが生まれれば、もっとたくさんのことが簡単に解決し、世の中は住み易くなるのではないかと、考えるのはナイーブでしょうか。
人と付き合うということは、素敵なことが山ほどありますが、辛いことも嫌なことも同じだけ山ほどあるものです。その嫌なことにちゃんと直面するからこそ生まれる絆もあるもので。でも、Eメールやテキストというとっても便利なコミュニケーションのツールがどんどん進化するおかげで、嫌なことに直面せず、簡単に逃げちゃうことができるようになってしまっているように思います。嫌なことを避けるために人に係わらないのが一番、という姿勢でしょうか。嫌なことを避けているうちに素敵なことも避けることになっているのかもしれないですよね。
ナイーブな考え方かもしれませんが、私は、やっぱり目の前で意識不明で倒れている人がいて、自分が何かをしてあげることができるのであれば、自分の損得を考える前に、何かをしなければならない、という気持ちに駆り立てられる人間でありたいと思います。
一緒に働く仲間がどんな人たちで、何か大変なことがあるのであれば協力できることはないかな、と思える仲間でいたいと思います。人として、信頼される上司であり、部下でありたいと願っています。
辛いことがあったら話を聞いて欲しいと思われる友人でありたいと思います。
私もそうしてもらいたいからです。
甘いかな、私の考え方。そうですね、甘いかもしれません。甘いから、人にだまされたり、つけこまれたり、たくさんしてきました。でも、私はだます方でなくてよかった、つけこむ人間じゃなくてよかった、と思うのです。そうやって傷ついたことで臆病になったこともありましたが、だまされた私が悪いんじゃない、つけこまれた私はおばかだったかもしれないけれど悪くはない、と思えば、臆病になる必要も小さくなる必要もない、と思うのです。心の傷は、臆病にさえならなければ時間が癒してくれるものです。お金を損した場合、う~ん。これは時間が解決してくれるわけじゃないですが、お金はまた稼げばよいのです。
今朝のニュースですが、こういうことがニュースになるということは、まだまだヒューマニティーにチャンスあり、だと私は思っています。もし、その老人施設のその看護婦さんが、ルールを無視して、その911ディスパッチャーの指示にしたがって人工呼吸をしてあげた結果、その人がクビになったとしたら、きっと、やっぱりニュースで取り上げられて、彼女を助けてあげたい、なんていう募金活動が沸き起こったんじゃないかな、とナイーブな私は思うのです。そういうニュースでなかったことが本当に残念。
だから、私は私の部下の皆さんにとってはちょっとうざったい上司かもしれません。あはは。よろしくお付き合いくださいませ。皆さんが私の目の前で倒れたら、人工呼吸しますよ!
((大矢))