2013-09-30
私はもう人生の半分以上を一人暮らしをしていることにふと気がつきました。
子どもの頃から一人遊びが得意だったそうで、もともと一人が苦にならない性格なことと、ちょっと臆病かつ面倒な性格なこと、変なことにこだわりがあること、おもてなし精神でいっぱいの性格でもないくせにおもてなしをしようとしてしまうくせがあってそんな自分に疲れちゃうこと、そんな性格をよく自覚しており、どんなに貧乏でも一人暮らしを選択してきた私です。
では寂しがり屋ではないか、というと、実は寂しがり。本当に面倒な性格です。
そんな私の一人暮らしのお供がテレビでした。
番組を観ているわけではなくても、映像がちらちらしていて誰かがスクリーンの向こう側で話をしていることにバーチャルな時間の共有を感じる、とでも言うのでしょうか。
そんな私のバーチャルルームメートのテレビが壊れるという事態が2ヶ月ほど前に発生。
新しいテレビを購入することにしましたが、どかぁ~んと大きくて重たいブラウン管のテレビを持っていた私は、フラットスクリーンのテレビの性能やなんかを学ぶところから始まり、サイズからブランドまで選択することがたくさんあるので、簡単にどのテレビにしようかが決められない。そこでテレビのない生活に突入するはめに。
最初はあまりの家の静かさにそわそわし、一抹の不安さえ感じましたが、そのうちテレビのない生活にも慣れ、テレビがない生活もよいものだ、とさえ思うようになりまして。人の心というのは、カヨウに弾力性があるものだと感心、感心。
テレビがないことで変化したこと。
*情報のソースがラジオやポッドキャスト中心になり、知りたいことを選択するようになった。
*空間が大きく感じるようになった。
*ちゃんと就寝をするようになった。睡眠時間も多少増えた。
*自宅で物事を考える時間が増えた。
*アパートの空間の中での自分の存在感を感じるようになった。
*テレビがなくなったことが原因ではないと思いますが、飼い猫の1匹が、時々一緒に寝てくれるようになった。うれし~。
*ニューヨークジャイアンツ(アメフト)の大ファンな私が試合を観るためにとった行動。
1.ラジオ---レトロな行動でした。案外面白かったです。ラジオのアナウンサーはすごいなぁと感心。とは言え、映像がないと数秒送れて情報が入ってくるわけですし、言語ではなく映像が理解できる情報量は一瞬の時間でもかなり大きい。スポーツはやはり映像があったほうが100倍楽しい。
2.友人の家に押しかける---私の友人にはそうアメフトファンはいません。なので、かなりの迷惑もの。友達を失いたくなければこれは何度もできることではない。
3.スポーツバーに出かける。---さすがに一人では。。。でも、アメフトを一緒のレベルで楽しんでくれる友人を発見。行動が広がりました。あまりにも弱い今年のジャイアンツの試合も、友人が一緒に観戦してくれて、ジャンクフードを食べながら楽しい時間を過ごせている!
こんな感じでしょうか。
長年、一人暮らしの寂しさを紛らわせるために取捨選択を特にせずにテレビとつきあってきたことが、随分時間の無駄遣いだったのではないかと感じた次第です。
やっと先週の土曜日にテレビが我が家にやってきました。
新しいテレビの映像の美しさに感動しておりますが、テレビとのお付き合い方法は、テレビに主導権を握られないように、せっかく覚えたテレビとの距離感を忘れずに、と思っています。。。が、既に、テレビをみながらソファーでウタタネを昨晩やってしまい、人生の大切な時間を2時間ほど無駄にしてしまったと反省しております。テレビのヤツ~!
その新しいテレビがやってきて、初めて真剣に自分で選択をした番組が先週の土曜日の夜中、PBSで放送されたインディー映画、Hello Lonsome。文字通り、一人ボッチな人たちがふとしたことで袖振り合う相手に出会い、その相手と時間と心をシェアーすることに。でもやっぱり心の中にはぬぐえない寂しさを抱え続けるのですが、そのことで、そういう自分を受け入れて新しい一歩を踏み出すことができるようになる、というようなシナプスでしょうか。登場人物の一人が言いました。
「人は触れられなければならない生き物なのよ。」
ところで、スマートフォンでネットフリックスをご覧になられる皆様(私だけ?)へ。スマートフォンをテレビに接続して大きな画面でネットフリックスやユーチューブなんかのストリーミングが楽しめるって知ってました?ちょっとしたガジェットを購入すればいいだけです。
((大矢))