今年も残すところあと僅か。
毎年毎年、年の瀬になると思いますが、1年が過ぎていくのが本当に速くて驚きます。
それだけ盛りだくさんな1年だった、ということなんだと思います。
やることがイッパイあると、あっと言う間に時間が経つように感じるものですよね。
だから、きっとたくさん色んなことがあった1年だったはず。
私は2014年を「悩まない、後悔しない、過去は振り返らない。」のスローガンを掲げて迎えました。精神的にはまだバリバリ若者のつもりですが、実際にはかなり長いこと生きてきてしまっているので、あとどのくらい若さが私の人生に残されているのかわからない。だから、残りの貴重な若さを1秒でも後ろを振り返ることに使うなんてもったいない、失敗してもしょうがない、もがいても悩んでもあがいてもどうにもならないことにしがみつくのは辞めよう、今の一手、次の一手をどう指すかを常に考えよう、と真剣に思ったわけです。私が単純なせいもあると思いますが、「人間、気の持ちよう」とは良く言ったもの。辛いことや悲しいことがあった時に「悩まない、後悔しない、過去は振り返らない」と念仏のように唱えることで、「まぁ、いいか。次ぎ!」と、新しいことへのエネルギーが湧いてくるものなので不思議です。
と、ここまで書いて、ふと、念仏、って一体何かしら、どんな効果があるものなんだろう、と思い、この1時間ほど、色々と調べてみましたが、難しい。イマイチよくわかりません。どうやら、南無阿弥陀仏、を唱えることのようです。浄土教の宗派において合掌礼拝時に南無阿弥陀仏、と唱えることを指しているそう。ほぉ、浄土教ですか。じゃ、南無阿弥陀仏ってどういう意味?南無、はサンスクリット語のnamasを漢字で当て字にしたもので、帰依する、という意味だそう。阿弥陀仏に帰依します、という意味だそうです。阿弥陀は、というと、これもサンスクリット語の阿弥陀とは、サンスクリット語で、「ア・ミター・ユス(バ)」「ア」は否定語(no),「ミター」は量る・計るという意味、「ユス」は時間、「バ」は空間を意味するそうで、直訳すると「時間や空間では計算できない=いつ、どこにでもいる」仏様という意味だそうです。無量光、無量寿、とも翻訳されるようです。ほぉ~。大矢家は一応浄土真宗の檀家なので、お葬式や○○年忌のお参りでお寺やおじいちゃんの家のお仏壇の前で、お坊さんのお唱えを耳にしてきましたが、最後の、なみあみだぶつ~、という言葉は一緒に唱えるわけで。昔々の信者たちも、私のように難しいことはよくわからないけれど、阿弥陀様の名前を唱えることで、阿弥陀様に救ってもらえると信じて唱えたんでしょう。きっと。信じるものは救われる、ですね。信じるパワーはやっぱりすごいエネルギーを生み出すということなんだというところに今、達した私です。「南無阿弥陀仏」でも、「悩まない、後悔しない、過去は振り返らない」でもなんでもいいんです、きっと。
私は仏教徒ではありませんが、今年になってヨガを始め、すっかりヨガにはまっている私には、なんとなく仏教の修行の意味がちょっとだけわかる気がしている今日この頃です。ちなみに私のはまっているヨガは賛否両論のあるビクラムヨガ。サウナのようなスタジオで26ポスチャー/90分のプラクティスです。あまり宗教的なヨガではありません。どちらかというと肉体的な修行です。
「悩まない、後悔しない、過去は振り返らない」念仏で背中を押し続けるにも多少限界があり、内省的な性格に生まれてきたので、悩むのは私の趣味のようなものです。なので、全く悩みから解放されたか、というと、そうはいかないものですが、この90分のビクラムヨガのプラクティスの一サイクルで、その糸がぐちゃぐちゃに絡まったような重たい気持ちも、90分後には大量の汗と共に昇華して透明な気持ちになっているから肉体修行のパワーは偉大です。体の硬い私にとって多くのポスチャーは大変な修行。その上に、室温105度(華氏)/湿度40%という環境で、高温多湿な環境にめちゃくちゃ弱い私はそんな環境の中に入ることだけで心臓がパニック状態になるわけで、90分間こんな環境のスタジオに居続けるだけでも修行。でも、この大変な90分を乗り越えられれば、このスタジオの外で起こるどんなことも乗り越えられる、って本気で思うわけです。めちゃくちゃ汗をかく、という現象も手伝ってでしょうか、90分のクラスが終わった後の爽快感と生まれ変わったような新しい気持ちはたまりません。で、90分前までは重たく心にのしかかっていたユユシキ問題も、まぁ、いいかぁ。たいしたことじゃない、と思えるようになっているっていうわけです。本当に。今、この爽快な気持ちで自分が存在していることをとても幸せに感じるからでしょうか。肉体修行が精神の昇華に一役も二役も買うのがわかるような気がします。
ちなみに、本日のこのブログ、ここまで書くのに、3時間かかりました。これも修行です。。。
今回のこのブログで、何が言いたいのか、というと、特に何が言いたいわけではないのです。皆様にビクラムヨガをお勧めしているわけでもありません。念仏を唱えることをお勧めするつもりもありません。肉体修行をお勧めしているなんてことは決してありません。
ただ、今朝、LinkedInで見つけた、写真のDalai Lamaの言葉の引用が1日中心に残っていたことがこんな文章を書かせているんだと思います。強いて何か言いたいことがあったとすると、今この瞬間を心して生きたいもの、ということでしょうか。念仏、ということばを調べていて、あるウェブサイトに念という漢字は今の心と書く、とありました。ほぉ~。今の自分と向き合うことが、念じる、ということなのかもしれません。
写真が見えないことがあるといけないので、私の心の中に1日中残っていた、Dalai Lamaの言葉を念の為に下記で皆様とシェアーして今年の私のブログの締めとしたいと思います。
何年も前のことですが、Dalai Lamaがセントラルパークでお説教をしたことがありました。朝早くからセントラルパークの外側にお説教を待つ長~い列ができましたが、その列に私がいたことは言うまでもありません。素晴らしい経験をしました。Dalai Lamaという人は本当に仏様の生まれ変わりかどうかは別として、何百年に一人しか生まれで来ない偉人だと思います。強さと優しさが人間の形として、私達の目に見える形として存在しているに違いないと思っています。無量の強い光を放っている存在だと思います。
では、皆様、よいお年をお迎えください!
大矢
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The Dalai Lama, when asked what surprised him most about humanity, answered "Man. Because he sacrifices his health in order to make money. Then he sacrifices money to recuperate his health. And then he is so anxious about the future that he does not enjoy the present; the result being that he does not live in the present or the future; he lives as if he is never going to die, and then dies having never