先日、休暇をもらい日本に一時帰国をしました。
その際に、念願だった姫路城を見に出かけました。
JR姫路駅から正面に見える姫路城は、2009年から始まった平成の
修理が昨年終わり、別名の白鷺城と呼ばれる所以のその白さをさらに増して、とても美しい城でした。
JR姫路駅は駅ビルでたくさんの
店舗が入っており、姫路城までの道も近代的なビルが立ち並び、姫路城の姿が見えなければ、東京周辺の町と少しも変わりがなく、どこに居るのか分からなくなりそうです。
入場の際にもらった資料によると、1333年に赤松則村が姫山に
砦を築いたことが姫路城の始まりとなっています。歴史の詳細は、ご興味のある方にお任せしますが、歴史の書物で必ず目にするような名前が、姫路城の歴史にも多々登場します。
黒田考高(官兵衛)が、御着城主小寺家家老で姫路城主、黒田職隆の嫡男として、姫路城で誕生しており、羽柴(豊臣)秀吉は大阪城築城前の3年間、姫路城主でした。
池田輝政も関が原の戦いの後、武功を認められ、播磨52万石で姫路城主となっています。
そのほかにも、徳川四天王のひとり本多忠勝の孫である本多忠刻と、忠刻と再婚した千姫(2台将軍徳川秀忠の長女、7歳で豊臣秀頼と結婚するが、大阪夏の陣で大阪城が落城の際に脱出)が、姫路城で10年過ごしたと記されています。
姫路城は地上6階、地下1階となっており、6階まで上がることができます。
最上階の6階からの眺めは最高でしたが、その階段の急なこと。どの階段も45度以上の傾斜があり、ただ一度上り下りしただけですっかりくたびれてしまいました。昔の人は鎧に身を固めてこの階段を上り下りすることもあったのだと思うと、足腰の強さに驚嘆します。
途中内室と呼ばれる全く窓のない部屋がありました。昼間でも中に入るのが怖いような部屋でしたが、蝋燭の薄明かりでここも行き来したのだなと想像すると、とても興味深くなります。
姫路城は1945年の姫路空襲でも奇跡的に生き残り、1950年の昭和の大修理を経て、1951年に天守など8棟が国宝指定。1993年に日本初の世界文化遺産に登録されました。
平成の修理を終えた姫路城は遠くから見ても、近くから見てもとても美しいものでしたが、その細部にわたる昔からの知恵と、技術は一見に値します。
姫路城のすぐ隣にある、姫路市制百周年の記念として平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園の好古園も、ぜひお勧めです。四季折々楽しめる、こちらも美しい庭園です。
ところで城内にお菊井戸といわれる場所がありました。そうです有名な怪談話の播州皿屋敷(番町皿屋敷)、夜な夜ないちま~い、にま~いとお皿を数える幽霊の出る話です。お菊さんが今でもお皿を数えているかは不明ですが。。。合掌。