2016-09-26
言葉とは他者とのコミュニケーションをするための手段の一つですが、それと同時に他者から「誤解」を生む大きな要因にもなると認識しています。
日本語を母国語とする私達の場合、第二言語である英語を話す時の方が、慎重に頭の中で言葉を整理し、正しい言葉を選択しようという手順を踏んでいるのではないかと思います。翻って、母国語である日本語の場合は、スピーチやプレゼンテーショーン時を除き、ほとんどの場合、その手順を踏んでいません。ですので、発する言葉はほぼ「感覚的」もしくは「惰性的」で、時として「言葉の洪水」にもなり、そこに「意思」や「意図」をみつけるのが大変困難になる時があるような気がします。
「言葉は心から発しなさい」とよく耳にしますが、それは確かにその通りなのですが、結構心の中は複雑で、それをそのまま表現するとなると相当ハードルは高いなあ~なんて思ったりもします。
「言葉は心から発する」という事は、発する言葉こそ「個性」であり「キャラクター」なんだという事になり、それは自分の分身である事を理解しなければいけないのでしょう。発した言葉が独り歩きしないよう気をつけながら「言葉に意思」を持たせられる人間でありたいなあ~と思う今日この頃です。
鈴木