ご無沙汰しております。ボストニアン木村です。
人材紹介会社として日頃様々なポジション案件に関わっているわけですが、ふと自分の事を振り返ってみると学生時代はそれなりに色々なアルバイトを経て来たなあと先日思い返していました。接客業から肉体労働まで、一日のみの仕事からから2週間泊り込みという期間まで、何十種類というわけではないですがそれなりにバラエティに富んだ内容の仕事をしてきたかなと思います。
住宅建築現場でのバイトというのもありました。指示された建築資材を運んでくるだけの仕事なのですが、自分が関わっているのが他でもない「家」である事、人が暮らしを営む空間を作っている事に新鮮な感動を覚えたものです。自分が作ったものに人が住むなんて経験なかなか出来るものではありません。
では一番楽しかったバイトは何かと訊かれたら、「バーテンダーのバイト」と即答出来ます。色々な経験を得た、多くの人と出会ったというのは勿論の事ですが、何よりも私は色とりどりの酒とグラスが並ぶバーカウンターが大好きだったのです。そしてバーカウンターへの愛は、働き始め職場に慣れてきた後も衰えるどころか増すばかりでした。彼女(?)と一緒ならどんなに濃い酔客でも大丈夫、そんな感じで。訳わかんないですね。
好きこそ物の上手なれ、ということでベーシックなカクテルのレシピ、各スピリッツやリキュールの味や原料などどんどん頭に叩き込んでいきましたが、唯一早々に勉強を諦めたものがあります。それはワインです。理由を一言で片付けてしまえば、片手間で身に着けるには余りにも情報が多すぎるからです。世界中の産地、各年代、ブドウの種類に農園毎の特徴…1・2日はおろか数ヶ月でも足りません。ちょっとした絶望を感じた私に、先輩バーテンダー(ソムリエ資格あり)はこう教えてくれました。
「ワインは人間と良く似ている。どんなワインにも良い所がある。優秀なソムリエほど世界的に有名なワインも誰も知らないローカルなワインも並列に扱う。実際、1本何百万円するロマネコンティと5百円くらいのワインを、名前をふせて試飲させてみると多くの試飲者が安いワインの方が美味しいと選ぶという実話もある。」
この言葉により、しがらみのようなもの・妙な強迫観念から開放されたように感じました。突き詰めれば、同じ産地・同じ製造年・同じブドウ品種のワインでも、グラスに注がれるまでの経路や保存方法が違えば別の味となるわけです。そんな商品の分析は専門家に任せ、自分はワインを飲むという行為を純粋に楽しめば良い、そう自然に思えるようになったのです。本人自身はそれほど深い意味を込めて教えてくれたわけは無いと思うのですが、10年経った今でも忘れない、宝物のような価値観となっています。
なので、料理用に買った安価なワインを試しに飲んでみたらすごく美味いと感じてしまった自分の鈍い舌にも別にがっかりしたりしないのです。しませんとも。
ちなみに私が働いていたバーは、私がアメリカ留学のため辞めた1年半後、店が入っていたホテルごと無くなってしまいました。従い本当に思い出の中だけに残る店となっています。適度に汚れて暖かみがあって一枚木のカウンターが自慢の良いバーでした。