武田です。
今朝、NYの地下鉄の中で家族連れを見ました。ご両親と大学生くらいの子供が2人で、子供の一人は大学の卒業式用のガウンと、そのお兄さんはお祝いのためのプラカードを飾りを持っていました。
この時期は大学の卒業式ラッシュです。
そういえば私も数年前の今頃はこうだったな~と感慨深いものがありました。
アメリカの大学の卒業式は大きな家族イベントです。日本では大学の合格発表の方が大きく取り上げられるような気がしますが、これも一般的に言われる「入学するのが大変な日本の大学」と「卒業するのが大変なアメリカの大学」の違いを反映しているのでしょうか。
私は日本の高校を卒業し、ペンシルベニアにある大学に留学しました。
留学した方は分かるかもしれませんが、日本にいるときのアメリカ留学のイメージというのは、
なんだか漠然とキラキラとしたものではなかったですか?私の思い描くイメージの中では、(何故かすぐに英語もぺらぺら喋っていて)アメリカ人のクラスメートと肩を並べ、キャンパスライフを満喫!みたいなとってもべたぁ~な未来予想図がありました。
しかーし!実際初めてアメリカに来て大学で勉強を始めると、思い描いていた想像図と現実のギャップがあまりにも大きくて大変な思いをたくさんしました。
1ヶ月程前、東洋経済の連載でこんなものを見つけました。
記事の執筆者小野 雅裕さんは、開成高校→東大工学部→MIT大学院→NASA勤務という私とは比較してもしきれないご経歴をお持ちなのですが、MITでの留学生活に関して下記のように書いていらっしゃいます。以下東洋経済の引用です。(出典:http://toyokeizai.net/articles/-/13184)
「最初の壁は授業だった。最初の学期に取った四つの授業のうちひとつは、チームに分かれて人工衛星を設計するというプロジェクトベースのものだった。毎週の課題はすべてチーム作業で、4人のメンバーが集まってディスカッションをし、それを基にリポートを書く。
こんなとき、日本では僕はいつもチームをリードする立場にいた。しかしMITではそうはいかなかった。アメリカの学生たちは本当によくしゃべり、よく主張する。そこへ僕がつたない英語で意見を述べても、なかなか他のメンバーは真剣に聞いてくれない。彼らは僕のたどたどしい英語にしびれを切らし、僕がしゃべり終わっていないのに割って入って、ほかのことを議論し出すこともしばしばだった。
彼らの主張に誤りを見つけ、違う、それはこうなんだと一生懸命に説明しても、理解されずに白けた目で見返されて終わることもあった。そうかといって黙っていれば、僕がそこにいないかのように議論が進んで行き、意見を求められることもほとんどなかった。リーダーシップを取るどころか、メンバーから信用すらされない。僕の自尊心は深く傷ついた。
交友関係でも苦労した。特につらかったのが飲み会だ。授業とは違って崩れた英語が話されるうえに、周囲が騒がしいこともあって、なかなか会話を聞き取れない。誰かが楽しげにジョークを言い、周りの皆が腹を抱えて笑う中、僕一人それを理解できずにいた。オチを聞き返して白けた目で見返されるのが怖く、かといって一人だけムスッとしていると余計に仲間に入れないから、わかったフリをして作り笑いをした。そんなことを繰り返す自分が嫌でたまらなかった。
気が滅入ると余計に口から言葉が出なくなり、眼前を縦横に飛び交う会話に入ることができず、ただ黙って座っている時間はとても長く感じた。手持ちぶさたなせいでビールの減りが早く、楽しくもないのに酔いだけが回った。
そんな飲み会のあと、寮の自室に帰って、僕はとても惨めな気持ちだった。やがて飲み会の誘いにも気が進まなくなり、忙しいからなどと適当な理由をつけて逃げることもしばしばだった。
現地調達するつもりでいたRAもなかなか見つからなかった。アポ取りのメールに返事すらくれない先生もいた。たとえ会ってくれても「空いているRAのポジションはない」と追い返されるのが常だった。そのたびに、本当にないから「ない」と言っているのか、それとも追い払うための口実なのかと疑心暗鬼になる自分がいた。そうこうしているうちに雪が降る季節になり、1年のタイムリミットも気になりだした。
胸にぱんぱんに詰め込んできた自信は、こうしていとも簡単に失われた。」
そうです、留学生活って、キラキラどころか、こんな葛藤ばっかりなんです。
共感しすぎて、日本人の同じような苦労をした留学仲間に記事を送りまくり、皆で「くぅ~!わかるぅ~(涙)!」と当時を振り返ったのでした。
私は新しい環境でも結構さっさと馴染んで楽しくやっていける方なのですが、アメリカに来た当初は小野さんが書いている通り、授業よりもなによりも、普段の会話についていけないことに愕然としました。立ち話とか、ちょっとした小話というのができないので、人から話しかけられること、それについて理解できない、反応できないこと、そしてその時の相手の「あぁ、、、この人私が何言っているか分からないのね」という白けた反応がとっても怖くなっていました。NYのような大都市だと、英語が喋れない人への耐性が強いですが、私が大学時代にいた町は留学生や移民が少なかったこと、そして特に大学1年生はアメリカ人でも色々な大学デビューをしないといけないので、英語の話せない私に、いちいちかまっている暇はありません。(笑)
筆者の小野さんは
「事実、当時の僕には自信があった。高校でも大学でも成績は上位だったし、英語だって少なくとも周りの日本人たちには負ける気がしなかった。交友関係にも苦労せず、大学のイベントやサークルでは何かとリーダー役を買って出ていた。アメリカでも同じようにやれるという自信があった。」
と言っていますが、たぶんこれが一番留学で辛いことだと思います。日本だったらいとも簡単にできること、意識もしていないようなことが、アメリカ・英語の環境になると途端にできなくなっちゃうんですね。できるのに、っていう思いとできない自分の間のジレンマが、最高に辛かったです。もしかしたら、小野さんのように日本で「できる」人であればあるほど、留学生活の最初はギャップが大きく大変なのかもしれません。
留学はなんとなくかっこいいとか楽しいという形容をされがちです。留学当時、この記事に出会えてたら「こんな立派な方でも苦労するのだから、私も苦労して当然なんだ」と思えてだいぶ気が楽になったのに、と思います。これから留学する方の夢を壊すわけではないですが、留学へのイメージ、期待値を現実的にしておくというのも結構大切なことだと思います。
と、卒業式に向かう地下鉄の家族連れをみて、私は自分の激動の大学4年間を思い出して思わず感傷にひたってしまいました。
現在留学で苦労している皆様、一人じゃないですよ!
そして今年卒業された学生の皆様、本当におめでとうございます!