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2016-10-26
10/26/2016 OPEN HOUSE NEW YORK
1992年にロンドンで始まったOPEN HOUSEは、建築物を通じて広くデザインや建設、未来の都市計画について興味を持ってもらえるようにと、普段は中に入れずに通り過ぎているだけの建物やインフラ施設を訪れることができる機会を設けている。
ニューヨークの参加は世界で2番目で、創設者であるScott Lauerは元々ロンドンでこのイベントのボランティアとして関わっていましたが、2011年9月11日後にニューヨークで設立しました。
そしてOPEN HOUSEは今ではデンバーやミルウォーキーの米国内の都市や、テルアビブ、バルセロナ、メルボルンなど、世界30カ国以上へと広がっているそうです。
ニューヨークでは1年を通して関連のツアーなどを行い、10月の週末に行われるOPEN HOUSEは最大で、Manhattan, the Bronx, Queens, Brooklyn, Staten Islandの5つ全ての区で
行われています。
今年は10月15日16日のスケジュールでおこなわれました。
公開された施設は事前に予約が必要な場所もありましたが、
open accessでほぼ一日自由に入れるところもたくさんありました。

今回急に思い立って出かけたため、すでに予約が必要なところは
sold outとなっていたため、普段あまり足を運ぶ機会のないBrooklynへと出かけました。モダン建築が見られるかと思い、A/D/Oという新たにリノベーションされたwarehouseにいきましが、なんとまだリノベーションの途中で、
中はガラガラ。少々がっかりして、そこからWilliamsburgにあるChurch of the Annunciationに行きました。
建物は1870年に建てられた、ロマネスクデザインの教会。
なかなか普段教会などには入りにくいですが、このような機会にwelcomeで迎えられて中に入ることが
できるのは、やはり貴重な体験です。
色鮮やかなステンドクラスや、細工の入った柱や天井を見ていると、いつもとは違う時間が流れるようでした。

見回せば、Ionicやcorinthian, palladianやarch windowなどのGreekやRoman 建築が見られる建物が
たくさんあるニューヨーク。
いつもと違った見方で街を歩くと、いつもと違うニューヨークがあります。
来年は事前に十分チェックして、OPEN HOUSE NEW YORKでまた新たなニューヨークを発見したいな、
と思いました。

神長
2016-10-19
10/19/2016 食を通じての“脳”力開発
皆さん、こんにちは。
強烈なインディアンサマーに見舞われているNYより、菱沼です。

さて、私もシカゴからNYに移り、早いもので、もう半年になります。車生活から、歩く生活になり、すぐに体重が落ちて、気をよくしていたのも束の間。誘惑も多い街ですので、暴飲暴食がたたり、鮮やかなリバウンドで体系は元通りに。。。。食を見直す必要があります。

そんな折、米国栄養療法協会認定の栄養療法コンサルタント 中村洋一郎さんに出会いました。彼は、食を通じての脳力開発を提唱しており、クライアントの健康を保つのはもとより、仕事のパフォーマンス向上の実現を手助けしています。福利厚生にも関与する、コーポレートウェルネスの中では最新トピックの一つで、日本人では中村さんのほかにこの分野を専門にしている方はいらっしゃらないそうです。

栄養・酸素の継続提供、エネルギーの安定供給、腸、脳の回復・向上を21日間のチャレンジ企画で体験させて頂きましたが、中村さんのアドバイス通りに水分補給をし、食べるものもきちんと考える習慣がつき、且つ、体が軽くなったと感じるこの頃です。日ごろ好きなモノを好きなだけ食べて飲んでらっしゃる方々、一度お試しください。寝起きを良くなり、ランチ後の眠気もなくなりますよ~!ご興味を持たれた方は↓の中村さんの会社Open Laboratoryウェブへ!

www.open-laboratory.com
2016-10-12
運動会
こんにちは。ダラス支店の山田です。

秋といえば、運動会。
先日、娘の補習校の運動会に参加してきました。

日本式の運動会を見るのが久しぶりだったこともあり、(恐らく)娘よりもワクワクしながら会場に向かいました。余裕を持って会場に到着したのですが、お子さんの雄姿を撮影するために良い場所を確保しようと、テントやキャノピー、レジャーシートで既にかなりの場所が埋まっていました。この時期のダラスにしては珍しく肌寒い朝ではありましたが、会場は既に熱気でムンムンです。

校長先生の挨拶を皮切りに、補習校運動会が開幕。入場行進や開会式途中で使用される「これぞ運動会」、という音楽のチョイスに日本が懐かしく感じられましたし、アメリカでこの雰囲気を体験できる環境があることに感謝しなければ、という気持ちにもなりました。

開幕して間もなく、娘が一番楽しみにしていた徒競走がスタートです。妻はスタート地点、私はゴール地点で撮影のスタンバイ。携帯電話とカメラを用意していましたので、ゴールするまでは携帯電話で動画撮影、ゴール後はカメラで写真撮影をと準備は万端です。

いよいよ娘の順番が回ってきました。娘が運動会で走るのを見るのは久しぶりだったので、まずその姿に感動しましたが、背の高い子もいる中、2位でゴール。頑張ってくれたと思います。妻から上手く撮影できたよと速報のメール。私も娘の姿を追い続けた動画を送ろうとした時に、、、、、

撮影ボタンが押されていないことに気づきました(汗)

こんなことになるのであれば、携帯電話越しではなく生で見れば良かった。。。

幸運なことに、他のお母さんが撮影してくださっていたので、何とか写真は入手できましたが、まだ娘にはその事実を伝えていません。

運動会には一般参加の競技もありましたので、張り切って参加しました。
参加競技は紅白に分かれての綱引き3本勝負。力強いお父さんが多く、我が白組は2連勝で勝利を収めることができました。ただ、普段使わない筋肉を使ったようで、翌日に腰のあたりに筋肉痛が襲ってきました。まさかの筋肉痛ではありましたが、翌日(←ここ大事です)の筋肉痛だった部分は、自分を褒めてあげたいと思います。来年の運動会も楽しみです。撮影は妻に任せたいと思います。
2016-10-03
10/3/2016 味噌ラーメンのお話し。
こんにちは。ニューヨークの大矢です。

来週、6年ぶりに日本に行ってきます。
実家に行くのは10年ぶりくらいです。
私は道産子で、札幌で生まれ育ちましたが、
海の食べ物が苦手。
魚料理は、生はもちろん、煮ても焼いてもディープフライも食べられません。
魚のほのかな風味もだめです。
私は玉子が大好きで、特に玉子焼きには目がないのですが、
昔、ランチにどこかのお弁当を買ったら、
私の大好きな玉子焼きがなんとサバの塩焼きにぴったり寄り添って置かれているじゃないですか。
う゛。。。信じられない惨劇です。
ミドリのビニールの短冊で一応仕切りされているその姿をしばらく見つめ、
玉子焼きを食べるべきかどうか悩んだ挙句、
さばに寄り添っていた側の半分は切って捨て、
さばとは無関係の外側の玉子焼きを食べる一大決心。
黄色くおいしそうにな光を放って私を魅了する玉子焼きの魅力に屈したわけですが、
おいしいはず、と信じて口にした玉子焼きは、
口の中に入った瞬間にサバ臭を発散。
口中に広がるサバの臭に耐えられず、
玉子焼きを吐き出してしまうというみっともないことになりました。
というわけで、皆さんのように、日本に帰ったら、これを食べて、あれを食べて。。。
という楽しみがそうありません。
私の食べたい日本食はたいていはマンハッタンで用が足りちゃいますし。
ニューヨークだと日本に行ったこともないアメリカ人の方が私よりはるかに日本食通だと言えるでしょう~。

とは言え10年ぶりの札幌ですから、マンハッタンで食べられないものは何かなぁと考えてみて、
味噌ラーメンに行き当たりました。
ニューヨークは今、ラーメンブーム。あちらこちらにラーメン屋さんがあります。
日本人が丹精込めてつくっているラーメンもありますし、
な~んちゃってラーメン屋さんもありますし、
アメリカ人がラーメンにはまってラーメン屋さんを開いちゃった、というお店もあれば、
アイアンシェフ森本さんまでラーメン屋さんを開きました。
私もラーメンは好きですが、ラーメンと言えば味噌、というこだわりがあるせいか、
それとも郷愁のせいか、
札幌の味噌ラーメンがニューヨークでは見つからないので
美味しいと思うラーメンになかなか出会えません。
インスタントラーメンの味噌ラーメンの方がおいしいと思うくらいです。
なので、10年ぶりに味噌ラーメンを食べて来ようと思っています。

で、いったいまたどうして札幌のラーメンは味噌ラーメンが顔なの?とふと思い、
グーグルしてみました。
私の友人にいつもからかわれますが、なんでも、語らないと気が済まない性格で。

どうやら、もともと札幌市内にあった中華料理の食堂で中国人によって手延べメンをゆでスープに入れるという今のラーメンの原型が生み出され(1922年だそうです)、その後日本人向けの味に改良されて札幌市内にラーメン文化が生まれたそう。

昭和初期にはすっかり札幌ではラーメンが愛され、喫茶店では1杯10銭のコーヒーと、一杯15銭のラーメンが大人気を呼んだのですって。でもこの時のラーメンは鶏ガラスープ塩味ベースのラーメン。麵も細い手延べ麵。戦争で食糧難になり、この元祖札幌ラーメンは姿を消したそうな。

今のスタイルに近づいたのは、戦後、満州などからの引揚者たちがススキノの屋台で作った豚骨から煮出した濃いスープによるラーメンが源流。でも、この頃は醤油ラーメン。麵は東京で修行した西山仙治さんという人の作る面が評判を呼び、自分の開業した人気ラーメン屋さんだけではなく、他のラーメン屋さんの麵も手掛けるようになって、札幌ラーメンのあのもちもちした黄色のちりちり麵が定着したというお話し。

で、肝心の味噌ラーメンですが、味の三平、という名前の大衆食堂の店主だった大宮守人さんという人が、リーダーズ・ダイジェストに掲載されたスイスの食品メーカー、マギー社の社長の「日本人は味噌をもっと料理にかつようするべき」という文章を目にして、じゃ、味噌をベースにしたラーメンを作ってやろう、と一念発起。日本隠しから味噌を取り寄せたりしてあれやこれやと試行錯誤を重ねた末に、1963年に店のメニューに正式に味噌ラーメンが登場することとなったそうです。

かなり奥深い、しかも、味の三平、なんていうなんでもない名前の大衆食堂のオーナーが、当時、リーダーズ・ダイジェストなんて読んでたわけ?スイス人の言葉に触発されたことが味噌ラーメン誕生のきっかけなわけ???と、案外奥が深いインターナショナルな食のルーツに少々驚き。へ~え~~~。

以上、味噌ラーメンのお話しでした。
札幌ラーメンと言えば味噌、っていうのは3代目のラーメンのことだったんですね~。
知らないことばっかりでした。
知ったからって特に世の中の足しになるお話しではなかったですが。。。

ちなみに、トッピングはメンマ、チャーシュー、ネギ、ゆで卵、もいいのですが、モヤシ、玉ねぎなどの野菜と豚肉(私はひき肉がお好み)を中華鍋で油たっぷりで塩コショウ味でいためたボリュームたっぷりのトッピングも超イケてます。このトッピングは、中華料理店で出されたラーメンが始まりで、メンをゆでる間に手元にあった野菜と豚肉を炒めてのっけてみました、という偶然の産物が人気を呼んだとか。

あ~、おなかがすいてきました。味噌ラーメン、楽しみっ!

((大矢))